初めまして、もっちです!
本日は、当サイトにお越しいただきありがとうございます!
私は気付けばもう35歳…。
20歳からこの15年間で転職回数14回。
リラクゼーションサロン、空港や商業施設の案内所、ホテルのレストラン(石垣島・香川・三重)、ディズニーリゾートのキャスト、マレーシアでのカスタマーサポート(2社)、調理補助、工場作業員(3社)、半導体フィールドエンジニア
お金もないのに興味が湧けば転職。
「また転職か」と反対されようが断固として聞かず、自分のやりたいようにやってきました。
その結果、スキルないけど行動する35歳が爆誕。
なぜ、こんなに転職を繰り返したのかと思うでしょう。
20歳の一番楽しめる時に、周りは彼氏に推し活に夢中。
私には何もなく空っぽだと気づいたからです。
生活する上で仕事は欠かせない、夢中になれる仕事が見つかれば人生楽しそう!と考えたのです。
そして、そんな私の今の目標は
1年後には月1で旅しながら月収30万円稼げるフリーランスになる!
「これだけ転職を繰り返していて、無理でしょう。」って思う方が多いかもしれません。
しかし、私は今までとは違い会社を変えるのではなく、スキルを育てることにしました。
ここから先は私の生い立ちも踏まえ、今の目標に辿り着いた経緯も詳しく説明します。
基本情報

名前:もっち
年齢・性別:35歳女性
職業:半導体フィールドエンジニア
趣味:食べ歩き、旅行、世界遺産巡り
誕生〜高校時代で殻を破る

田んぼや畑しかない、岡山県のとある田舎で生まれる。
昔ながらの古い慣習が残っている家庭で、父親、母親、曽祖母、祖母、姉、双子の弟、私の8人家族の一般家庭。
私の特徴は、学校では地味で大人しく、真面目なクラスによくいる根暗な子でした。
同級生たちは楽しそうにゲームやテレビの話で盛り上がっている。
私もあの輪の中に混ざれたらな、でも話したいと思っても言葉が出てこない。
その反動か学校で話せない分は姉弟と遊んで叫んで発散していました。
私は小学生から中学生までの9年間、結局行動には移せず同じ悩みを抱えて過ごしてきました。
高校生になってからは1から自分を出せるかもしれないと思い、勇気を振り絞って話しかける。
この一歩がきっかけで、クラスの同級生とは普通に接することができるようになり、勇気を出して行動することが大事だと気づけたのです。
それから、友達に誘われ大阪にあるエアライン系の専門学校のオープンキャンパスへ。
生徒一人一人が自信を持ち輝いていてとてもオーラがあり、私もこんな風になりたい!私は「キャビンアテンダント」に憧れを抱く。
田舎から都会に出て一人暮らしをするのはとても勇気がいるけど、勇気を出し行動することで何かが変わる。
自分が憧れを抱いたのなら行動するべきと考え、大阪の専門学校へ進学。
自分を曝け出す!行動力の目覚め

専門学校は現役や元キャビンアテンダントが教師であり、より実践に特化していました。
憧れの職業の経験がある教師たち、誰もがキラキラ輝いている。
あんな風になるんだ!と、これからの学生生活に夢を膨らませ学校へ。
授業では入学した翌日から早速、スーツを着て面接対策。
一人一人、歩き方からメイク、座り方や話し方まで全てチェックされます。
面接対策で身だしなみやマナーを整えつつ、内面磨きの授業も始まる。
この授業は自信を持ち堂々とした自分になるために、自分を曝け出すプレゼンテーションをするのです。
目的は心のブレーキを外し自分を解放すること。
最初は自分でも考えがまとまらず、何を話しているのかわからず矛盾しまくり。
でも講師から「矛盾してもいいから解放!」と言われ続け、プレゼンしていくうちに、段々と恥がなくなり自信がついてきました。
プレゼン授業の成果と岡山から大阪で一人暮らしという初めての経験から、何でもできると感じました。
それから、お休みの日には友達とナンパスポットに行き彼氏探しに奔走したり、したいと思うことにどんどん挑戦。
新しいことに向かっていく自分がすごく好きになりました。
そしてこれから就職活動!という時に就職氷河期。
航空業界の求人がほぼない状態。
募集がないため夢を諦めるしかなく、とても悔しい思いをしました。
色々な会社に応募するも受からず、唯一内定がもらえたリラクゼーションサロンへ入社することに決める。
私は上京に憧れがあり「関東に行きたいな」と会社の人事にぼやいたところ「それなら行こう」と言われ「行きましょう」とノリで答えました。
そのまま関東のリラクゼーションサロンへ配属決定。
自分探しからの転職時代の幕開け

初の関東進出!初の就職!ということでテンションも上がっており、意気揚々と配属の店舗へ出勤。
出勤早々、サロンの先輩からいじめられる。
私は当時、先輩に直接呼び出され直球で悪口を言われているのに、なぜかすごく喜ぶ。
その時に「わあ、声かけてくれた!私のために心配してくれとる」と思っており、先輩は拍子抜けしていました。
しばらくしてその先輩は退職し、ただ仕事をこなして1日が終わる平凡な日々を送るだけ、正直つまらない。
同僚は推し活や彼氏に夢中、育児に出産、皆が何かしている。
新しいことに向かっていく自分は好きだけど、何かに夢中になり継続した事がない。
今20歳で空っぽ、このままでいいのか?と疑問を持つ。
私も同僚のように夢中になれるものがほしい!
ここから自分探しが始まりました。
リラクゼーションサロンは違うと思い転職活動を開始。憧れだった航空業界とは違うが、空港の案内所の求人が目に止まり応募し内定をいただく。
会社を転々としても見つからない

空港での勤務は早朝勤務から夜勤まであり、とてもハード。
私の業務は主に「館内やフライト案内・電話対応・旅行保険やバス乗車券・JRチケット販売」など多岐に渡り、覚えることが大量。
そして案内所にくるお客様は時間に余裕がないビジネスマンの方が多く、イライラしている。
毎日イライラしたお客様に囲まれ、接客も販売の業務も丁寧さよりもスピード命!
1日が目まぐるしく過ぎていく。
空港への仕事に携われたのはすごく嬉しいと感じていました。
しかし、仕事は楽しくもなく、色々な業務をやったが特にスキルとして身につくこともなし。
こんな人生を送りたいわけではないと思い、お金もないのに早々に転職を決意。
それからホテルレストランのホールスタッフ、ディズニーリゾートでのキャストなど興味を持ったら一旦やってみましたが、どれもピンとこない。
テレビで「語学力ゼロがマレーシアで夢の豪華生活を手に入れた」というのを見て、日本には求めているものはない!と思いました。
英語が話せなくてもできる、日本人対応の仕事。
マレーシアにある大手カスタマーサポートの会社に転職。
毎日が刺激的だけど夜逃げしたい

マレーシアでの日々は刺激的な毎日で飽きない!
私の探し求めていたものはこれだったか!と思いました。
マレーシアでは日本では考えられないことがいっぱいあります。
- お店の店員さんは堂々とスマホいじっている
- 音楽を爆音で流し、歌いながら仕事をする
- タクシーに乗っている時に、高速道路のど真ん中で停止
「え、こんなことしていいの?」と思うことばかり。
日本の常識には当てはまらない、この自由さに衝撃と共に惹かれました。
でも、プライベートは充実していても仕事は日本人相手のクレーム対応で毎日罵倒。
何人もの同僚が病み、夜逃げするくらい私にとっても苦痛でしかなかったのです。
そんな中、仕事の休憩時間に同僚から聞ける、ワーキングホリデーや語学留学の話が唯一の楽しみでした。(以下ワーホリ略)
そして自分探しをしている私は、ここで貯金してワーホリに行くことが目標となり、逃げずにクレームに耐え続けていました。
海外は性に合っているからワーホリで英語も学び、そのまま海外就職しようと考えました。貯金が貯まったため退職し、ワーホリの準備に日本へ帰国。
コロナで夢絶たれる

帰国直後にコロナが大流行し、ワーホリのチャンスが潰えた。
悲しくて悔しくてどうしようもないやるせなさ。
コロナがどんどん酷くなる…。でもどうしても海外に行きたい!
そんな時に探して見つけたのが、語学留学で行ける国マルタ。
コロナの中、地中海に浮かぶ海の綺麗な小さい国、マルタに語学留学へ飛び立つ。
やはり海外最高!!
11月末、2ヶ月間のマルタでの語学留学が開始。
毎日、学校終わりに友達と散歩したり海を見たり野良猫と戯れたり。
クリスマス・年末年始に友達とパーティしたり飲み歩いたりして大騒ぎ。
充実した穏やかな時間を過ごすことができ、やはり海外は最高だと思いました。
そして楽しい日々を過ごしている中、フリーランスとして活動している日本人が入学。
コロナでも旅をしながら自由な場所で稼いでいる、パソコン1つあれば仕事ができるフリーランス。こんな働き方があるんだと知りワクワクした。
ただ、私には特筆したスキルがないため友人から需要があるとお勧めされた「プログラミング」を学ぶことを決意。
このスキルは向いていない

マルタから帰国後、需要のあるプログラミングを学ぶためオンラインスクールに入会。
でも、私には向いていない。
覚えた公式を使っても成功せずエラーばかり。
何とか成功したとしても、達成感よりも疲労によりため息しか出ない。
半年間続け、サイト制作までしたが興味も湧かず楽しいとは感じず「これはやりたいこと?」と自問自答を繰り返す。
私はいつも興味を持ったら行動してきたのに「需要がある」という理由で始めている。
だから一向に興味が持てないのかと感じプログラミングは諦める。
そして半年の間に貯金が尽きる。
会社に縛られたくないけど生きるためには働くしかない。それにフリーランスへの道は諦めたくない。会社員になってからフリーランスに合うスキル探しをしよう。
会社員に戻るため仕事を探すも、このときすでに34歳。
求人があっても職が選べずスキルもない。
年齢も関係なく、スキルがなくてもできる仕事で探していた時に国内外出張ありの半導体フィールドエンジニアを見つけ転職。
未来への道が拓ける

国内外の出張もでき、1回の出張につき最低1ヶ月以上で長くても半年間もの期間。
長期のため休日には観光できる!と思っていたが、現実は甘くはなく、出張先によっては休日出勤もあり残業もあります。
仕事は装置上部での高所作業、重量物を持ったり、人体に影響のある危険な薬液を使用しての作業や狭い隙間で工具を使用しながらの機械いじり。
そして職人気質な男性社会。
女性にとってはきつい仕事ばかりで将来性が感じられない。
早く辞めて何かスキルを身につけなければと、そんなことばかり考えていました。
フリーランスと相性のいいスキルはないかと探している時に、あるオンラインスクールの動画が目に止まりました。
このスクールはフリーランスとして多くの成功者がおり、理想の働き方を叶えている。
中でもスキルゼロから学んで旅暮らしを実現しているフリーランスがいることに衝撃を受けました。
私も同じように学べば、この世界へ行けるかもしれないと感じたのです。
もう年齢的にも今しかない!転職を繰り返すのではなく、フリーランスになって自分で仕事を獲得するためのスキルを育てることが重要だと気づき、Webマーケティングを学ぶことにしたのです。
夢中になれるもの

私はWebマーケティングを学び始めて、初めてマレーシアに行った時と同じワクワクした気持ちになりました。
こんなに夢中になれたのは初めて!学べば学ぶほど、楽しいと感じる。
私が15年間、転職を繰り返しても見つからなかったことが、ようやく見つかった気がした。もう後戻りはしない。
これまでは転職を繰り返し、夢中になれる仕事を探していました。
しかし、自分でスキルを育て新たなキャリアを築くことが大事だと気づきました。
「わたし、スキルゼロのアラフォー会社員から脱却しスキルがある人間になる」
転職を繰り返すのではなく、新たなスタートを切りました。
そもそも、なぜいきなりWebマーケティング?と思う方もいるのではないでしょうか。
Webマーケティングを学んで、フリーランスとしての可能性も広がるということを知り興味を持ったのです。
- 営業活動ゼロで集客ができる
- 仕事のできる範囲が広がる
- 多くの人が仕事で成功している
- できる人がいないため需要がある
楽しいことばかりではなく悩むことだってあるけど、今が楽しく夢中になれることをしているから全く苦ではないです。
私の今までの人生は過去があって今があり、全て無駄ではなくこのために繋がっていたと信じております。
さいごに

私は20歳からこの15年間、自分探しを始めてようやく新たなスタートに立ったと感じております。
今この記事を見てくれている皆さんは、何かを変えたくて行動しているのだと思っています。
私のように
- スキルゼロ
- 旅しながら働きたい
- 年齢的に転職が厳しい
と思っていたら、私の成長過程を見て参考にしてほしいです。
コンセプト記事に私がなぜ当サイトを立ち上げたのか書いています。
興味がある方は、ぜひ見てくださいね。
1年後には月1で旅しながら月収30万円以上稼げるフリーランスになる
今はこの目標を叶えるため、Webマーケティングのスキルを習得し、自分の新たな道を切り拓いていきます!
目標を叶えるためにやってきたこと、行き詰まった時の壁を乗り越えるためにやってきたことなどを記事として書いていきます。
本当に目標が叶うのか、ぜひその過程を見に来てください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もっち